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いきていくのに まったく必要のない しょーもない ぶろぐ

飛行機の予約に慣れました。

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えーと、書くところがいまのところないので、ここに記しておこうかと思います。

 

 

 

父が亡くなりました。

 

入院の知らせがきまして、一度、実家の方に戻りお見舞いし、それから手術を受け一応成功していて、経過をみるということになりまして、またこっちに戻ってきた一週間後、病状が悪化したらしく息を引き取ったと連絡がありました。それで実家のほうにまた戻り葬儀などが終わった、のが現時点です。

 

 

なんとなくの覚悟はありましたが、実際にこういう連絡を受けると、自分とは遠い世界のことのように客観的に受け入れ、落ち着き払っていました。それが自分は冷たい人間なのだろうかと自己嫌悪に陥るまではいきませんでしたが、少し疑いました。

 

 

父とははっきり言いますが理想的な親子とは程遠く、話もあまりしない親子関係でした。最近は連絡もせず、久しぶりの電話が入院の知らせでした。けれど仲たがいしているわけでもなく、会えば普通に世間話もするし、遠慮することもなかったと思います。

 

 

 

もっと親孝行すればよかったな~、もっと話をしたり心配かけたりしないで、酒を一緒に飲んだりできればよかったな~、という後悔の思いは本当に多々あります。ただそれよりも実際の現実、葬儀や親戚が集まることへの準備、経済的な心配、喪服はあるのか、黒い靴下はどこだ、香典返しはどうしたらいい、などなどが波のように次々と押し寄せ、回顧の思いを巡らす暇などありませんでした。実際にはほとんど母と妹が対処してくれたので筆者は後ろで話をきいているだけだったのですが。

 

 

 

何時ぶりぐらいだったでしょうか。記憶をたどると、子どもの頃、引っ越しの時みんなが見送ってくれたとき以来ではないでしょうか。大人になってからは記憶がありません。自分の涙が止められなくなったのは。遺体となり横たわる父を白い死装束に着替えさせてもらっているとき、湯灌の儀というらしいですが、涙があふれ止められませんでした。

 

湯灌 - Wikipedia

 

不思議と悲しいだとか寂しいという感情ではなく、ただただ涙があふれ泣けてくるという感じでした。それから納棺し、お通夜、火葬場、告別式、と過ぎ、こっちに戻ってきた次第です。

 

 

 

 

 

火葬場で遺骨を骨壺におさめているとき、親戚のおじさんが、

 

 

 

 

「あっという間だなぁ・・・」

 

 

 

 

と言っていました。

 

それが遺体が焼かれ遺骨になるまでのことを言ったのか、それとも人の一生のことを言っていたのかわかりませんが、筆者にはズシンと心に重く響きました。

 

 

 

 

 

「お前に任せるから・・」

 

 

 

病院にお見舞いに行ったとき、父から言われた言葉でした。かすれ弱々しい声でしたが何より重く何よりも自分に突き刺さる言葉でした。結果的にはそれが筆者と父との最後の会話となりました。

 

 

世の中的には偉大な人物とまでは言えません。しかしながら、家族として息子として一人の人として最も尊敬し目標とする人物が父、そして母であります。チャランポランでだらしのない息子で本当に申し訳ありません。これからも心配をかけるかもしれませんが、なんとかやっていこうと思います。どうかゆっくり休んでください。

 

 

 

だらだらと思うままに書いてしまいましたが、こういうときって色々と考えるものですねw

 

 

自分はまったく知らなかったのですが、父はカラオケも結構好きだったらしいです。よく歌っていたのがこの歌だそうですw

 

では、また次回、バーイセンキュー。

 


堀内孝雄 竹とんぼ