勘です。
最近、「勘です」「直感です」と言うと、「なんだよ」とか「勘かよ」みたいにバカにされませんか?
筆者はですね、これが、全く納得がいかないわけなんですよ。
麻雀の番組のコメントも、ちょっとニュアンスが違うんですが、例えば「運ゲーw」だとか「出た、運だけのやつ」などなど、データ的な根拠のない捨て牌を軽く見る傾向があるんですよね。
それは違うんじゃないか? と、わたくすぃは思うわけです。
確かに、データや情報は、とある判断や決断をする際に重要な根拠となります。プロ野球でいえば野村監督の『ID野球』は有名ですよね。野村監督の経験的な要素とスコアラー陣の徹底した情報戦略で見事に優秀な成績を残しています。
ですが、とはいえ、勘や直感なるものが、このいわゆるIDに劣るとはどうしても思えないのです。もっと言えば、勘や直感こそ頼るべき物事への指針ではなかろうか、とさえ思っています。
情報がこれだけ多くなってきた現代だからこそ、自分の本能的な、本質的な、あるいは根源的なものに重きをおいてもいいのではないでしょうか。
そんなこと言ったってしょーがないじゃないか(えなりかずき風)
モノマネできる人って尊敬します、、わたくすぃは全くできません。
形態模写なら結構・・・
話が飛びましたが、そういうことでやんす。
論理的に正しい、だとか、総合的に判断して、だとか、勿論それで結果うまくいく場合もありますが、それが全部正しい、それ以外は全部間違いだと結論付けるのはいかがなものかと。
でね、じゃあ、根拠を示せとくるわけですよ。なぜなのか理由を述べよと。
こう来ると直感と勘は、なんかめちゃくちゃ弱いわけです。なにせ、明確な理由や根拠がないのが勘や直感だからです。
そして、あえて、このことに筆者は反論したいわけなんです。
本人の情報量はたかだかウン十年、人間でいえば数十万年くらいですよね。多く見積もっても百万年くらいですよ。一方、単細胞生物から現代にいたるまで脈々と連なり、受け継がれ、繋がってきた生物としての本能、あるいは遺伝子のもつ情報量は、数億年クラスの経験や歴史に基づくものです。つまり、単純な情報量の比較であれば、勘や直感に頼ることの方が正しいわけです。
だからといって、直感的な判断が必ず正しいと言っているわけではありません。人間が考えに考えぬいて導き出した知識、哲学、思想などには、美しさまで感じます。エジプトのピラミッドを見ると、もちろん現地で実物を見たわけではありませんが、「すごいなーどうやって積み上げたんだ?」とか単純に人類のあくなき信念を感じざるを得ません。
けれども、ヒトがおごり昂り、自分たちの貴重な財産とでもいうべき本能、根源的な感覚、つまりは勘や直感を軽視してしまっては、本末転倒なのではないでしょうか。
「ねえねえ、この服かわいいー。あ、こっちのもかわいい」
「そうだね」
「どっちが似合うかな。こっち? それともこっちかな?」
「え、ああ、そっちのほうが似合うんじゃない? かわいいし」
「えーなんで?」
「なんでって・・・勘だよ、勘」
「なにそれ」
「・・・・」
「こっちのほうが、透け感あるし、色も流行のやつだからかわいいでしょー」
「・・・・」
最後におもしろかったので載せときますw