賛否両論ございます。
って、ドヤ顔でまとめる人に言いたい。
あたりめーだろがw
様々な意見があり、議論の必要性を感じます、と言いつつーの、私はちょっと上から客観的に眺めてーの、両論併記したから中立ですーよ、みたいなのーに、若干、腹が立ちますなw
という前置きをして、、、、無知で、幼稚な、へっぽこで、だらしのない、親父と言われても仕方のない年齢の、底辺にうごめいている、わたくすぃが考えていきたいのであります。
それこそ、いろんな記事を読んでみましたよ。勿論、全てというわけにはいきませんが、大体、似かよった記事ばかりで、「そう、それだよ!」と、言えるものはなかったように感じました。
そうです。いわゆる「浜ちゃん黒塗り問題」です。 あれ、ちょっと遅い?w
簡単に事の経緯を説明しますと、年末恒例のテレビ番組、日本テレビ「ガキ使」にて、ダウンタウンの浜ちゃんが、映画「ビバリーヒルズ・コップ」のエディー・マーフィーさんに扮した際、顔を黒く塗って演じました。これに不快感を示した方が、ツイッターなどのSNSに、「人種差別表現」ではないのか、と意見したことを発端に情報が拡散し、イギリスのBBCやニューヨークタイムスまで、この話題を取り上げ問題化していった、というものです。
いろんな人が、それこそいろんな意見、考えを語っていますよね。まさに賛否両論です。列挙して引用してもいいのですが、キリがないのでここではやめておきます。興味のある方はグーグルでもヤフーでもたくさん記事が出てきますので見てみてください。
そんなたくさんの記事をざっくり眺めて感じたのは、世界標準、というキーワードです。つまりは、いま現在、たとえモノマネであったとしても、顔を黒く塗って演じることは黒人差別と捉えられてもおかしくない世界標準が存在する、という事実です。
ここで、日本テレビが批判を受けて回答した見解を載せておきます。
「ご指摘のシーンについては、ダウンタウンの浜田さんが、あくまで、映画『ビバリーヒルズ・コップ』で俳優のエディ・マーフィさんが演じる主人公『アクセル・フォーリー』に扮したもので、差別する意図は一切ありません。本件をめぐっては、様々なご意見があることは承知しており、今後の番組作りの参考にさせていただきます」
多く例にあがっていたのが、アメリカにおいての黒人差別の歴史です。今回の問題と似ていて代表的なものがミンストレル・ショーだそうです。
さあ、ここからですよ。
考えましょうよ。
例えば、松崎しげるさんのマネで顔を黒く塗った時には、人種差別になるのでしょうか? もういないかもしれませんが、黒ギャルに扮して「チョベリバー」とかでコントしたら、差別的なのでしょうか?
もちろん違いますよね。
わたくすぃは黒人ではないので、黒人の方の不快感に関してはわかりませんが、少なくともあくまで日本人のマネをしている人に不快感はかんじないのではないかと思います。
疎いからこそ、無知であるからこそ、日本人は良くも悪くも黒人の方が黒いのは、個性の一部であると捉えているのではないでしょうか。
人種の一部でもなく、民族の特徴でもない、人それぞれが持つ「個性」として身体的特徴を捉えるというのは、これは僕の考えですが、非常に優れた洗練された見方のように思います。
欧米強国が自分たちの不幸な歴史から導き出した世界標準からの批判と、歴史認識や多様性に乏しいと言われるガラパゴス的島国の感覚と、どちらが正しいとは言いませんが、少なくとも、押し付けられるような非常識ではなく、議論に値する両論だと思います。
差別に関して言えば日本だって未だに解決を努力し探っていますが、世界に卑下する必要もなく、有名な杉浦千畝さんや、陸軍軍人の樋口季一郎さんのように多くのユダヤ人を弾圧から救った立派な方も過去に存在します。
改めて記しますが、
黒く塗り、その姿が可笑しいから黒人を笑ったのではなく、圧倒的アジア人の浜ちゃんという「個性」が、世界的ハリウッドスターであるエディー・マーフィーというかけ離れた「個性」に変身したからゆえの、可笑しさなのであって、これを「人種差別」に結びつけようとする浅はかさには、日本人としてわたくすぃ、反対であります。
言いたいことを言うって、すっきりしますが、大変ですねw
あと、これは蛇足というか追記なんですが、記事やニュースの中に、ほのかに香るお笑い蔑視の見方も感じました。ミュージシャンやアーティストにはリスペクトがあるから、なんらかの意図があるから、みたいな意見もあったほどです。まったく酷いというか、なに言っちゃってくれちゃってんの、という感じです。
関係ないでしょうよw そこはーw
ということで、ラストに動画でもw